Madonna del BaldacchinoThe Immaculate Conception

2008年02月12日

ジャンバッティスタ・ピットーニ

 
 
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「 聖母子と聖ヨセフを礼拝する聖女テレサと
聖ペテロ、聖女ウルスラ、司教 」
ジャンバッティスタ・ピットーニ
Giambattista Pittoni (1687-1767)
<個人蔵>
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この記事へのコメント

17. Posted by 追夢人(ついむと)   2008年03月02日 03:31
Fu さま
 今晩こそは受け流しましょう(笑)
 科学的な認識方法はとても大切ですが、それはあくまでも決め事、1つの手続きに従った説明方法に過ぎません。ある目的のための単なる手段です。このある目的が実はもっと重要なのです。
 人間にとってこの目的を見つけることこそ意味があると想っています。その目的とは何でしょう? 人間はそれを問うて、自分にとっての目的、そして他の人との共通の目的をいろいろな方法で追い求めながら、生きる幸せをつかもうとするのではないでしょうか。
 しかし、この目的までを科学的な認識方法だけで説明しようと自己目的化させて、実は全く無意味だと思うのですが、意味あるものだと信奉してしまう現代人がたくさんいるのです。
 この信奉者の皆さんが勢力を増し、社会的に大きな権限を持つようになると、他の目的を否定しながら排除して、自己の目的(説明のための説明)のためだけに更に大勢の人たちを巻き込んで従事させていくので、不幸は始まると考えています。
 なぜなら科学的に説明すべき対象は世の中に、いや宇宙に無限に存在しますから、永久に説明し続けるためだけに生きなくてはならなくなるのですから。
>ところが、そんな私・・・この半年で思い知りました。
>…と何度も神父さまに言われましたデス?。
それはよい経験をされましたね。その神父さまのおかげでしょうか(笑)
話は変わりますが、Fu さまが、フムフム、そうそう!とお読みくださった追夢人の駄文の替え歌ならぬアレンジバージョンを書きました(赤面&呆&唖然&ドン引き)
http://tenmadetodoke.jugem.jp/?eid=173
スルーしてください(^^;
16. Posted by Fu Shusei   2008年03月01日 15:53
>←印象だけでものをいっている今日の追夢人はちょっと変なので、受け流してくださいまし(^^;
いえいえ、私もまったく同じ考えです。フムフム、そうそう!と拝読しましたです!
ところが、そんな私・・・常日頃も目に見えるものは信じない、感じるものだけを信じる・・・というモローの言葉に共感を得ていた私自身が、いかに小さな脳みそで理解できることしか理解しようとしないか この半年で思い知りました。人間に理解できる、論理を超えることのないものにしがみつくクセがあるようですよ、現代の人間は。
「知識や教養を身に着けることや論理的な考え方は大事だけど、あなたの場合は、それが神秘を受け入れることの妨げになっているようだなぁ?(笑)と何度も神父さまに言われましたデス?。
>でも今のところ抽象画?のようなものはセンサーが全然働きません(笑
右に同じく?。
説明読まないと分からない前衛的すぎるものとか(笑)
15. Posted by 追夢人(ついむと)   2008年02月27日 23:06
Fu さま
こんばんは?♪
>崩壊した日本語(爆)で書かれた長文にお付き合いくださいまして、有難うございました(笑)(ご愁傷さまでした???)
崩壊した日本語? とんでもありません! お礼をいわなくてはいけないのはこちらです。
無知ゆえ、いろいろ時代背景や大前提まで詳しく解説いただかないとお話をかみ合わせられなくて恐縮しています。
こんなに根気よく丁寧にご説明くださり、感謝しています。こちらこそありがとうございます!
>区別しないで全部鵜呑みにするのは妄信、狂信に他ならないと思うんです。(絶対に狂信者にはなりたくないと常日ごろ思っております・・・)
かといって、科学や人間の小さな脳みそでとらえられることだけのみ信じるというのもあまりにさびしい気もします。
おっしゃるとおりだと想います♪
そう科学だけではさびしすぎるのです(涙)
科学で全てを解き明かしたいと切望するあまり、解き明かされないものはないと錯覚し始める人々が多くなっています。
解き明かされた極一部の世界をもってそれをよりどころにして、それが正しいのだと言い出し、いつしか解き明かされたものだけが正しくて、翻って解き明かされないものは正しくないから正さねばならないか、なくさなければならないとような機運が、もうだいぶ前から幅をきかせています。
周りで科学(技術)の優位が幅をきかせていると、人が科学は万能と錯覚するのは無理もなく、実は人間の小さな脳みそでは、科学(技術)で人を豊かにするためにごく狭いこと、物質的にしか利用できていないことを知らずに過ぎてしまうから、科学(技術)だけでは人を精神的に豊かにできないという反省が足りなかったのです。
科学(技術)は人を豊かにするための手段のはずが科学万能の錯覚が物質的にも精神的にもいかに多くの悲劇や不幸を生み出してきたか、多くの人は気づき始めていると想いますけれど、社会や経済の仕組みが科学(技術)や物質優位になってしまっているので、もし今から変えられるとしても長い年月がかかるでしょうし、もう無理かもしれない可能性のほうが大きいような気がします。
←印象だけでものをいっている今日の追夢人はちょっと変なので、受け流してくださいまし(^^;
下のコメントにつづきます。
14. Posted by 追夢人(ついむと)   2008年02月27日 23:04
Fu さま
上のコメントからのつづきです。
>簡潔にお答えできなくて申し訳ないですが?(爆・爆・爆)
何をおっしゃいます! そんなことはありませんよ?(笑) 
おもう存分暴れてくださいましー(笑)
>聖画にこれほどまでに人間的な暖かみを持ち込んだのは、レンブラントが初めてだと言われているようです。
へー♪ ここはメモしておきますね(笑)
>現代アートの一部はあまりに「神秘的」すぎて、私には全然分からなかったりします(笑)
追夢人のアートに対するセンサーは狭い限られた好みが優先しているので、それ以外はほとんど目に入らないのです(^^;
でも、その好みを打ち壊すほどインパクトのある作品に出会うことがたまにあります。その出会いを楽しみにしています♪
でも今のところ抽象画?のようなものはセンサーが全然働きません(笑)
13. Posted by Fu Shusei   2008年02月27日 20:05
崩壊した日本語(爆)で書かれた長文にお付き合いくださいまして、有難うございました(笑)(ご愁傷さまでした???)
>現象より真理というか…
そうですね!
>そのなかに含まれる真実(神学上誤謬のない口伝など)を区別することが大切なんですね!
はい。区別しないで全部鵜呑みにするのは妄信、狂信に他ならないと思うんです。(絶対に狂信者にはなりたくないと常日ごろ思っております・・・)
かといって、科学や人間の小さな脳みそでとらえられることだけのみ信じるというのもあまりにさびしい気もします。
>意地悪な質問にも誠実にお答えくださるFu さまは素敵ですね。ありがとうございました(笑)
まぁ、ありがとうございます♪
でも全然意地悪な質問じゃないですよ!?
普段あまり意識していないことを確認できる良い機会になりますので、こちらとしても大変有難いです。
簡潔にお答えできなくて申し訳ないですが?(爆・爆・爆)
>禁止するための口実
当時としては、至極「科学的」な見解だったそうです(笑)
この論を唱えた方々はきっと大真面目だったのでしょう。
面白いですよね。
>このマリアさまはちょっと
老けすぎですね(笑)
今の時代だったら高校生くらいの年齢なのに、どうみても30歳は過ぎてますよね(^_^;)
背景の描写がなければ、普通の「家族」の絵に見えるかもしれませんね。
聖画にこれほどまでに人間的な暖かみを持ち込んだのは、レンブラントが初めてだと言われているようです。
>もしかして神秘的って、まさに絵画の真実ではないですか
私もそう思います!!
ただし、現代アートの一部はあまりに「神秘的」すぎて、私には全然分からなかったりします(笑)
現代アートの美術館もよく行きますし、面白いなとは思いますけどネ^^;
12. Posted by 追夢人(ついむと)   2008年02月26日 03:41
Fu さま
こんばんは!
詳しく説明してくださってありがとうございます!
かなり深みをましてきて、ついていけるか心配ですけれど、読解してみます(^^;
>書いてあることが「歴史的事実」でなくてもいいんです。そこに「真実」さえあれば。
なるほど! 真実が大切なんですね。現象より真理というか…
>それらの「真実を含む伝承」と「土俗的な迷信」は、区別する必要があると思います。
史実と伝説の区別といっても、事実と異なる伝承部分を全て迷信とくくるのではなく、そのなかに含まれる真実(神学上誤謬のない口伝など)を区別することが大切なんですね!
>それがですねぇ・・・うーん。
>一応美術事典などでは、「授乳の聖母の図像は禁止された。よって衰退していった」と書かれているのですが、実際は存在してるんですね。
>だから、公会議以前と以後ですっぱり分けることはできないと思います。
そりゃ簡単になくなりはしなかったでしょうね。大雑把なのはわかっていました。唸らせてすみません。
意地悪な質問にも誠実にお答えくださるFu さまは素敵ですね。ありがとうございました(笑)
ちなみに禁止された理由の(2)までは人情というか心情的に自然な感じで違和感はありませんけれど、(3)あたりは禁止するための口実だとしてもここまで権力者は屁理屈をこねるものかと返って面白くなりました。
下のコメントにつづきます。
11. Posted by 追夢人(ついむと)   2008年02月26日 03:39
Fu さま
上のコメントのつづきです。
>追夢人さんはお好きじゃありません?こういう優しい雰囲気。
優しい雰囲気は大好きですけれど、このマリアさまはちょっと…(笑)
それにしても歴史的背景に対抗して?まで滴る母乳まで描いたレンブラントは偉いですね!
>鑑賞者に、絵の魂について想像を巡らすことが委ねられるようになったのです。
>絵の主題が画家自身の個性のなかに埋没していった・・・という言い方もできますかね。
ルールやパターンから解放された結果、画家のイメージで描かれた絵の魂(個性)について委ねられた鑑賞者の想像という意味で神秘的だったのですね。
もしかして神秘的って、まさに絵画の真実ではないですか
10. Posted by Fu Shusei   2008年02月25日 15:39
(下の続き)
あ、まちがえた、オシリスじゃなくてイシスです。(オシリスは旦那さんだった・・・)
>両方ともそうじゃなくて…でしょうか?
両方ともそうじゃなくて・・・デス。すいません、うまく説明できなくて・・・^^;
えっとですね、たとえばルネサンス期にAさんという画家とBさんという画家がいました。2人の画風はまったくことなっていて、誰の目にも違いが明らかだとします。
ある日2人が同じ「主題」の絵をかきました。
「東方三博士の礼拝」です。
2人の個性がよくでた作品でした。まったく雰囲気が違います。
でも、この絵を見た人たちは誰もが、みな両方とも「東方三博士の礼拝」だと分かりました。
なぜでしょう???それはこの主題の図像パターン、決まりごとが守られていたからです。
登場人物の持ち物や、背景に書かれている動物たちは何を描くか大体きまっていたからです。
つまり、見る側も図像に関する知識がなければ、それがその主題かどうか分からないですよね。
で、トリエント公会議では、それらの「パターン」や「決まりごと」が一部排除されてしまったわけです。
・・・となるとどうなるか?
画家は自分自身の頭でイメージしたもの自分自身のやり方で描くようになります。
しかし、そうなると見る側には、以前のようには何が描かれているのか、明確には分かりません。
だから神秘的なわけです。
鑑賞者に、絵の魂について想像を巡らすことが委ねられるようになったのです。
絵の主題が画家自身の個性のなかに埋没していった・・・という言い方もできますかね。 
・・・これも「多分」です。どっかで読んだことがあるのですが、その本が今家にないみたいなので、確認できませんです?。
9. Posted by Fu Shusei   2008年02月25日 15:34
(下の続き)
>トリエント公会議以前の絵だろうと考えるのは大雑把過ぎますか?
それがですねぇ・・・うーん。
一応美術事典などでは、「授乳の聖母の図像は禁止された。よって衰退していった」と書かれているのですが、実際は存在してるんですね。
だから、公会議以前と以後ですっぱり分けることはできないと思います。
(ちなみに何故禁止されたかというと、聖書に記述がないということもそうだと思いますけど、(1)この図像がおそらくは古代エジプトの「ホルスに授乳する女神オシリス」が起源である・・・つまり異教的、土俗的である (2)清教徒に「マリアが胸を出すなんてトンデモネー」と批判された (3)神聖受胎だから、母乳がでるわけないと考えた・・・ということがあげられるかと)
たとえば、レンブラントは周りがプロテスタント化していくなか、かたくなにカトリックを貫いた人ですが、こんな「聖家族」を描いていますよ。
http://www.pinakothek.de/alte-pinakothek/sammlung/kuenstler/kuenstler_inc_en.php?inc=bild&which=5114
女性の私にはちょっと生々しすぎてちょっと苦手(笑)ですが、聖家族の暖かい結びつきを描いた傑作だと思います。(胸から滴る母乳まで描かれています!)
追夢人さんはお好きじゃありません?こういう優しい雰囲気。
これはあくまで私自身のかんがえですけど、おそらく次のようなことが考えられると思うんです。
(もしかしたらきちんと研究した本があるかもしれません。不勉強で読んでいませんので、まちがってるかも)
公式な礼拝像として描くのは禁止・・・つまり昔は、貴族とかギルドが画家に発注して教会に寄進したり、聖職者自身が発注して、聖堂や礼拝堂に設置したわけです。
でも、これが、画家個人がコッソリ描いてどっかにしまっていたり、お金持ちさんがナイショで注文して自室にコッソリ飾ってたりしてたら、べつにばれない限りなんのお咎めもないですよね。
どんどん民衆が強くなっていって、絵が教会やお貴族様の礼拝堂だけのものでなくなっていったりしてますので、それで授乳の図像は生き残ったのでは?と想像してます。
(上に続く)
8. Posted by Fu Shusei   2008年02月25日 15:33
【あくまで私見ですので、間違っていることも書いてあるかもしれません。ご注意ください 笑】
>史実と伝説と区別する知識はとても大切です!
くどくて恐縮ですが、「伝承」(神学上誤謬のない口伝など)と「迷信」(民衆の豊かな想像力によって生まれ、俗化された根拠のない信心)は別である、、、ということも念のため付け加えさせてください。
カトリックは「伝承」を否定しません。(同時に現代では「科学」も否定はしていません。)
というか、聖書自体、もともと弟子や信者たちの口伝を文書化したものですよね。
書いてあることが「歴史的事実」でなくてもいいんです。そこに「真実」さえあれば。もの凄く乱暴ないい方をしてしまうなら、人間の先祖はアダムとエバじゃなくって、猿でも、アメーバでもいいし、アダムとエバが100人いたっていいんです。アダムとエバの話で、聖書が語っている「真実」=「重要なこと」は、「人間が罪を犯した」・・・ということ。当時の人々には、その「真実」を表現するのに、「そういう書き方しかできなかった」・・・と考えるわけですね。
また、イエス・キリストの実際の誕生日はわかっていません。12/25でない可能性も高いでしょう。でもイエスが救世主としてこの世に生まれたという「真実」があると考えるならば、クリスマスには「真実」があるわけです。(神父様や遠藤周作の受け売り 笑 【注】この解釈はキリスト教でも、教派によって異なりますので、キリスト教徒がみな同じ考えを持っているわけではありません。逐語霊感説というのを唱えていて、聖書は霊感を受けて書いたものだから、すべて真実―たとえば、なかには進化論は間違っている!と唱えるかたたちもいらっしゃいます。)
それらの「真実を含む伝承」と「土俗的な迷信」は、区別する必要があると思います。トリエント公会議が目指したのはそこだと思います。(次に続く)
7. Posted by 追夢人(ついむと)   2008年02月20日 03:07
Fu さま
こんばんは!
>イヤですねぇ?、こんな細かい小姑(爆)
いえいえ、ありがとうございます♪
Fu さまの本領発揮ですね! 調子が戻りつつあるようで…(笑)
>絵画の神秘化への傾倒と、わけのわからん聖人伝(…)の成立はまた別のものです。
なるほどそうですね。
神秘化された宗教絵画の描写内容と、聖人伝の記述内容とは別物でした。
影響とかの相互作用があるにせよ、それぞれの歴史的な成立過程を分けて把握することがまず必要ですね。
>聖人伝のなかには…、民間伝承(迷信)やシンボライズされたストーリーがまぎれているので、結果的に荒稽無倒な話になってたりします。13世紀に成立した黄金伝説なんて「なんじゃこりゃ」の嵐です。面白いですけど。
>聖人伝は、このサイトあたり参考にしていただくと信用がおけると思います。あまりに史実と懸け離れた迷信じみたことは書いてないし、書いてあったとしても、「・・・と伝えられています」とちゃんとかかれてますので。
黄金伝説なんて面白そうですけれど、そうですね。史実と伝説と区別する知識はとても大切です!
貴重な情報源を教えてくださり、ありがとうございます。時間があるときに覘いてみます♪
6. Posted by 追夢人(ついむと)   2008年02月20日 02:59
Fu さま
コメントのつづきです♪
>さて、では今度は絵画表現のほうへ。
>16世紀に「トリエント公会議」というのが開かれました。…
>絵画においても、聖書に根拠や記述がなさすぎる図像表現(民間伝承が入り混じりすぎのものとか、明らかに迷信っぽいものとか)が禁止されました。たとえば、授乳している聖母とか、十字架の前で気絶している聖母など。
聖人の絵画へ登場のさせる時の動機や描写の仕方など、その時代時代の注文主意向や画家の宗教観の反映があったでしょうね。
影響力の強いカトリック教会とその影響が薄れた注文主とでは、おそらく絵画の仕上がりもだいぶ異なったのでしょう。公式のカトリック教会とはいえ、教会自身もその時代の影響からまた自由ではなかったでしょうし。
授乳している聖母とか関心があるのですけれど、トリエント公会議以降はあまり描かれなかったのでしょうか? 授乳している聖母を見たら、トリエント公会議以前の絵だろうと考えるのは大雑把過ぎますか?
>画家にとってはおなじみの図像表現がいろいろ禁止されてしまったので、一見何を意味しているのか分からない、神秘的な作品が生まれるようになったのでした。例:エルグレコなど。
影響力の強いカトリック教会に判らないように、注文主の迷信好みを画家にお願いして神秘的に描いてもらった意味でしょうか?
公式カトリック教会の注文主に判らないように、画家が自らのトリエント公会議以前の宗教観も巧みに絵画に描写するために神秘的したということでしょうか?
両方ともそうじゃなくて…でしょうか?
短く説明するのは難しいですかね(笑) ほとんど無知ゆえすみませんです(^^;
5. Posted by Fu Shusei   2008年02月19日 18:17
>ご遠慮なく軌道修正してくださいませね。
あは、では早速小姑が重箱の隅をつつきます。ブログをお読みの方にも誤解がないように(笑)
イヤですねぇ?、こんな細かい小姑(爆)
絵画の神秘化への傾倒と、わけのわからん聖人伝(なんて言っていいのだろうか・・・汗)の成立はまた別のものです。
聖人伝のなかには勿論真実が含まれているはずですが、民間伝承(迷信)やシンボライズされたストーリーがまぎれているので、結果的に荒稽無倒な話になってたりします。13世紀に成立した黄金伝説なんて「なんじゃこりゃ」の嵐です。面白いですけど。
聖人伝は、このサイトあたり参考にしていただくと信用がおけると思います。あまりに史実と懸け離れた迷信じみたことは書いてないし、書いてあったとしても、「・・・と伝えられています」とちゃんとかかれてますので。
http://121.50.46.169/calendariosanti/index.php
365日の聖人だけなので、ウルスラとかは出てませんが。
さて、では今度は絵画表現のほうへ。
16世紀に「トリエント公会議」というのが開かれました。これはプロテスタントさんの宗教改革を鑑み、カトリック自身の自己改革、刷新、教義の再確認などを図った会議です。(自浄に勤めた・・・というべきか。)
絵画においても、聖書に根拠や記述がなさすぎる図像表現(民間伝承が入り混じりすぎのものとか、明らかに迷信っぽいものとか)が禁止されました。たとえば、授乳している聖母とか、十字架の前で気絶している聖母など。
画家にとってはおなじみの図像表現がいろいろ禁止されてしまったので、一見何を意味しているのか分からない、神秘的な作品が生まれるようになったのでした。例:エルグレコなど。ちゃんちゃん。
4. Posted by 追夢人(ついむと)   2008年02月16日 00:17
Fu さま
こんばんは!
再コメントありがとうございます♪
>この頃のカトリックの絵は神秘主義的な表現に進んでいたので、ルネサンス期の作品とは印象がずいぶん違いますね。
なるほど! 神秘主義的なんですね。
確かにルネサンス期の作品の印象とは全然違いますね。
神聖な敬虔さよりも、神秘性に傾倒してしまったのですね。
神秘という名の下に誇大妄想的な伝説も生まれて、何でも有で、矢が刺さったままでも許されてしまったのでしょうねぇ。
この絵は神秘を通り越して大袈裟なポーズで滑稽にも見えてきたりして…そうそう、知識の無い追夢人ですので、憶測がはいり込んで、お門違いの時も多々あると思います。そんな時にはご遠慮なく軌道修正してくださいませね。
>聖母は、にし○かすみこだし。
ぎゃーーーーー! やっぱり(爆)
そうは見えないですよーーーーー(笑)
>(でも、あのかたは本当は涙もろい優しい人なんだそうです。)
そうなんですか。
無理して演技しているように感じて、見ていて辛いのですけれど、何とか皆に受けているようで、少しホッとしています。ひとりで頑張っていらっしゃるので、TVに出演していると応援しながら見ては笑っています。でもこのマリアさまですか?(笑)
3. Posted by Fu Shusei   2008年02月15日 19:28
矢の刺さったウルスラは見たことありますが、それは殉教シーンであって、そのまま礼拝しているのは・・・(笑)
>不思議な図というと、図像学的には何か変なのでしょうか(笑)
図像学的には全然ヘンじゃないです。
というか、当時はこれが普通だったのかも。
ただ、よくよく考えてみると現代の感覚では奇っ怪ですよね。
ホラーです。まず手当てしてから礼拝してください・・・といいたくなります。
この頃のカトリックの絵は神秘主義的な表現に進んでいたので、ルネサンス期の作品とは印象がずいぶん違いますね。
聖母は、にし○かすみこだし。
(でも、あのかたは本当は涙もろい優しい人なんだそうです。)
2. Posted by 追夢人(ついむと)   2008年02月14日 23:57
Fu さま
こんばんは!
>ぎゃーーーーー
ビクッ{びっくり}
矢が刺さったまま礼拝している聖女ウルスラの図像はFu さまにしても初めてでしたか!?
これは渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで昨年の秋に開催された「ヴェネツィア絵画のきらめき 栄光のルネサンスから華麗なる18世紀へ」の出品作品で、中でも追夢人にとって、可愛いケルビムも飛んでいて、マリアさまの表情が優しく一番印象に残った作品です♪
観た時はFuさまのおかげで少し予備知識もつき始めた頃で、脇役?のアトリビュートが目印となって、それまでの見方とは一味ちがった鑑賞ができて楽しかったのですけれど、不思議な図というと、図像学的には何か変なのでしょうか(笑)
よく見るとマリアさまの穏やかな表情とは裏腹に跪いていたり、仰け反っていたり、覗き込んでいたりとオーバーアクションの芝居じみたポーズが可笑しいですけれど…(笑)
>違う意味の「女王さま」に見えるのは気のせいでしょうか!?
最近TVでよく見かける黒い鞭を振り翳すお笑いの、まさかあの…
ぎゃーーーーー(爆)
でも、あの芸にはとても愛着があったりして…(笑)
1. Posted by Fu Shusei   2008年02月14日 21:24
ぎゃーーーーー
刺さってるぅー。
聖人の像ってよく考えると生々しいですよネ^^;
体中矢だらけだったり
頭に刀がぐっさり刺さってたり・・・
で、刺さったまま礼拝している
不思議な図が当たり前だったりして・・・
天の女王マリアが
違う意味の「女王さま」に見えるのは気のせいでしょうか!?
聖ヨセフが跪いてるし・・・

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