事実誤認

2012年03月01日

読み手のメディア・リテラシーとFacebookへの個人投稿

 一般の人が体験して得られる情報量を超え、膨大な情報や知識は新聞、テレビ、雑誌、書籍、広告等のマス・メディアやインター・ネットに氾濫している。
 私たちがテキストや写真・画像、或いは、音声付きの動画・映像から得る情報は、受け手が実体験した事実ではない間接的な二次情報なので、それが現実にあった事柄なのかはわからない。
 しかし、それを事実として受け入れているのは、その多くは漠然と大手マス・メディアなど発信源を信頼しているからに他ならない。一般の人は、信用した二次情報の事実確認をしないから、その信頼性は検証されることはないのが大方である。
 従がって、ある社会問題や事件の二次情報、それもその断片を元に個人的に慣れない思考をめぐらして、何かそれに対する感想や派生した意見をFBに投稿したりすると、事実誤認もあり得るが、それは至極当然のことで決して悪いことではないと私は思っている。
 FBに悪意を持って嘘を投稿して他人や社会を困らせる意図がある訳ではないのにもかかわらず、内心想っていた個人的な意見や感想をFBに投稿して、万一、それが間違っていて、拡散でもしたら、社会や皆に迷惑がかかるかもしれないと恐れて、社会で大きな問題になっている事柄やホットな争点に触れるのを控え、差し障りのないプライベートなつぶやきしかしないとしたら、それこそ宝の持ち腐れというか、とても勿体ない話と思う。
 FBで個人の意見や感想の投稿を読んでいる人たちは、たとえ社会問題についてであれ、そこに事実誤認があったからといって、重要な意思決定や行動が左右されるほどFBの利用者はメディア・リテラシーが低いと私は思っていないのだけれど、それは間違いなのだろうか?
 むしろ、影響され、健康・生命や財産のみならず将来への希望に至るまで大きく左右され、過酷な不利益を被らされたのは、情報を隠蔽し、操作し、捏造し、視聴者を都合よく誘導してきた一方方向の大手マス・メディアを過信して、今まで私たちがほとんど何も言ってこなかったからではないでしょうか?

tenshijunreitenshido at 20:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote