残留思念
2011年12月31日 16:44
作品には、製品とは違う何か、を感じさせる。 大切にしたいとう気持になる何か、または、粗末には扱えないと思わせる何かを秘めている。ある意味、怖いし、悩ましいものもある。
私の大のお気に入りの小品をある画家さんに近くでお見せしようと手渡そうとしたら、少し心霊経験のあるその画家さんは触りたくないと仰った。そうさせる何か。
その小品の制作者は「絵はどうしても時間がかかるから体温がうつりやすい。」と言っていた。
迷信じみた話になるけれど、子どもの頃、櫛は拾うなと母に叱られた。不潔だからではなく苦労を拾うからと。また母はそういう意味で骨董品も嫌っていた。ところが、私は大好きになった。昔の職人の物は素材も質もいいし、出来も確かで、手作りのよさ、温もりを感じられる。確かに手鏡や鏡の付いた小さな化粧台とか古い小道具や家具には以前の使用者の怨念みたいのが残っているような気がする。
次のような経験もある。長い間、骨董店で売れ残って埃を被っていたような古物でも、ある日、珍しくお客さんが値段を訊く。その日には買わずに帰るが、数日後、やはり欲しくてまた来店する。ところが、その時には、もう他の誰かが買ってしまった後とか。たまに同じようなことが繰り返し起こるらしい。
ずっと動かなかった物が、ある時期、急に動き出す時は複数の人が同時に動いている。最初の人の欲しいと想う気持ちが、物にうつり、次に来た人がそれを感じ取って購入するらしい。残留思念というそうだ。
私にも数回あった。簡単に書くが、そのうち二回は買う段になって目の前で先約が現れて品物を持ち去っていった。
新婚当時の冷蔵庫は、店内で椅子に腰かけて配達先を書こうとしたら、若い女性が現れた。骨董市の医療箪笥の時は、一度声を掛けて購入希望の意志を示してから、他の接客の邪魔をしないように長い間、大人しく順番待ちをしていると、若い女性が割り込んできて店主に声を掛けたので、その女性に順番を待っていると告げた。すると店主に実は彼女が先約だと言われた。いずれも後に各々の店で同等品を見つけてきてくれたけれど。
伊豆高原の天使巡礼天使堂の二階の天使のいる回廊に常設展示しているレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を模写したミニアチュールのKPMの陶板画もそう。
東京ドームのアンティーク・フェアでビーナスとエロスを見つけたが高価な割に魅力はなかった。感動するほど淡く柔らかな輝きを放つKPMを見つけたが、目的の図柄ではないし、二百万円もしたから目に焼き付けるだけになった。会場を一周してから戻ったら、掛けてあったビーナスとエロスが壁から消えていた。ふとガラスのショーケースに目をやるとその上に置いてあった。傍らで中年夫婦がカードを切っていた。
東京ドームのアンティーク・フェアには、マリア様の陶板画を捜しに来ていたのだが、結局、見つからなかった。
それで、前日、平和島の骨董市で見つけた「最後の晩餐」を模写したKPMを買うことに決心し、平和島に向かうことにして最短経路を考えた。手元に軍資金がなかった。浜松町の銀行で急いでおろして、モノレールに飛び乗った。なぜかとても焦っていた。下車して駅から会場まで走った。
その出店にはまだ有った。ほっとして、前日より更に二万円ディスカウントしてもらう心づもりで、息を落ち着かせながら、再度、ルーペで細かな傷の有無をチェックしていたら、「あ~売れてしまった!」と私より年配の男性の溜息が聞こえた。その人は近くの銀行で現金をおろして戻ってきて同じ陶板画を買うつもりでいた。私は店主に昨日から予約していたことを彼に聞こえるように確認し、優先権があることをアピールして、手にした陶板を放さなかった。
彼は二万円安い方のエミール・ガレのガラス工芸にしようか迷っていたらしく、そちらを買うと言って諦めた。競争相手を目前にしてディスカウント交渉はできなかったけれど、彼は自分が買うのは値が下がっても、そのKPMの陶板はきっと価値が上がると誉めてくれた。
ちなみに K.P.M.とは、KoniglichePorzellan-ManufakturBerlin(ベルリン王立磁器製陶所)の略です。