知名度
2012年01月20日 16:44
知名度は必ず資本と結びついている。それは資本の力で知名度が上げられていることを意味する。そこには必ず知名度・マスメディア・資本の癒着構造がある。
販売目的の絵画でも例外ではない。
【マスメディア(Mass Media)は、新聞社・出版社・放送局など特定少数の発信者から、一方的かつ不特定多数の受け手へ向けての情報伝達手段となる新聞・雑誌・ラジオ放送・テレビ放送などのメディア(媒体)である。マスメディアにより実現される情報の伝達(コミュニケーション)が「マスコミュニケーション」である。】 ※ウィキペディアより
2012年01月09日 13:44
アート作品が売れたことをもって評価されたという人がいる。
高く売れたら、それだけ評価も高いという。それも一つの評価には違いないが。
それでは、他の作家の、それより安い作品は、評価や価値が低いという訳か?
価格(値段)の高低は単純に比較できるから、わかりやすい。
アート作品の売買で値段が付けられ、売約されて実績は残る。どの作家の作品がいくらで売れたか、作家の売上高が、アート市場での市場価値ということはできる。
それは、画商などバイヤーや投資家あるいは投機家にとって、もしくは画家にとっては、その収益性という意味で重要だろう。
しかし、市場価値だけが、アート作品の評価の基準なのか?他にはないのか?
市場価値は、通常、マス・メディアと連動している。
マス・メディアに頻繁に取上げられれば、知名度が上がる可能性は高まる。また、知名度の高い作家の作品は、マス・メディアに取り上げられ易い好循環も生まれる。
市場での販売価格、マス・メディアでの露見、知名度、集客力、宣伝効果、などなど高評価を得る。
知名度が高ければ、画商あるいは美術館などにとっては、集客力があって都合がよい。宣伝広告が効果的で、経費を無駄にかけずに済む。
画商は値段が高くても楽に売れるし、美術館は高額で収蔵しても借りても集客で利益が出る。
だから、作品が優れているのか?くどいようだが、それは市場価値に過ぎない。
高額な作品または知名度のある作品、イコール優れた作品ではない。
誰にとっての高評価なのか?本末転倒のトリックに騙されてはいけない。
アート作品に限らないことだが、高額、イコール価値があるといえるほど単純ではない。
独自の価値観をもってない人は、市場価値を受け入れることになるだろう。
あるいは購入者独自の価値観による作品評価とその購入目的(動機)から、作品の価格(市場価値による評価)との均衡を考えないで購入する人は経済感覚にも無頓着な人くらいだろう。
一個人で高額な作品を購入する場合は特によく考えよう。購入する動機や目的を。