鑑賞

2015年03月18日

草の根・美術絵画とか

現役の絵描きさんの絵画は、一般の人が観る機会は、限られるけれども、実は、美術学生や趣味で描いている人も含めれば、現役の絵描きさんの絵画の実数は、間違いなく膨大な数に上っている。

美術館を含む絵画売買の市場向け宣伝広告メディアによる知名度、周知度だけを頼りに、絵画を楽しもうとするのは結構なことではあるが、それだけでは近視眼的なのは間違いない。

絵を嗜む(描ける)ことに越したことはないのは言うまでもないけれども、描けなくても鑑賞するのは決して難しくない。ただそういう生活習慣を持つのは容易とは言えそうにないのが現状であろう。

海外の歴史的な巨匠の名画の、日本での展覧会の美術館の入場者数が十万人を超えたりもするが、銀座界隈の画廊でさえ、客足が減少の一途にあると画商は嘆き、アートフェアで、内外の超富裕層の大人買いに期待して、アーティストのブランディング(捏造?)で一攫千金を夢見て(妄想して)いるか、一部の大コレクターのなかには、なぜか画商の上目線から、絵画の供給過多を抑制し、価格の下落を防止しようと絵描きの淘汰?を推奨して、発掘したお気に入りの若手の、未だ廉価な絵画を購入することで支援と称しつつ、馴染みの画商やアート・メディアに重宝されているようだけれども、そんなのは小さな業界の内輪話に過ぎない。

某有名百貨店の美術サロンで展示販売されている額装も立派な、いわゆる高額一流絵画がお好みならば、それはそれで結構ではあるけれども、銀座京橋界隈のみならず、各街の小さなギャラリーには、ならではの多種多様性も面白い。

歩いて見て巡るだけでも、心身ともに健康にもよい。

ところで、絵描きさんにとって、絵を展示するのに公共施設は経費が少なくて済むのは好いけれども、慢性的に満員で、予約はずっと先になる。

それに絵を展示したいと思うのは、絵描きさんだけだろうか?

私は会社員だった時、自腹で購入した絵は、勤め先の空いた壁に展示させてもらっていた。所属部署の部屋はもちろん、会議室、応接室、エントランス、廊下、飾れそうな空いた壁は全部。自宅では飾れる壁は少ないし、ほとんど睡眠のためだけに帰る自宅より会社での滞在時間が圧倒的に長かったから。ただ、誰にでも好まれそうな画風の絵に限られたけれども。

絵画ではないが、写真同好会の同僚など数名は、会社近くで駅前にあった、行き付けの小さな個人経営の喫茶店の狭い壁にずっとただ飾って貰っていた。

絵画を他人に観て貰う為の展示は、画廊や美術館に限らず、好きな者同士なら、その機会はつくれる。ギャラリー以外の場所での展示を馬鹿にしたり軽んじてはいないだろうか?

絵画を直に鑑賞できる場や機会をもっと増やした方がよいと想う。絵描きは、同時に鑑賞者でもなければ、絵画は普及しないと思う。絵画を購入してまで手元で鑑賞したくなる気持ちも、そういう身近な処で接した体験から生まれると想うから。

絵画を売買の商品としかみなせなければ、小さなパイの奪い合いか、富裕層しか実は相手にしていない利益最優先の吹っ掛け詐欺もどき商法の印象しか、一般には周知されないだろう。



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2014年05月10日

ラティチュード(latitude) の原理は、鉛筆画の鑑賞に際し、自分の感性を内省する上で重要な位置をを占めている。

ラティチュード(latitude) の原理は、鉛筆画の鑑賞に際し、私の感性を内省する上で

重要な位置を占めている。

私は30代前半の数年間、主にネガカラーフィルムで屋外の写真撮影(ポートレイトや

風景など)を趣味にしていたので、撮影時のカメラの露出やフィルム感度などの知識を

ほんの少し勉強したのが、絵画鑑賞をした後で自分の感受性についていろいろ考える

時にとても役に立っている、換言すれば、影響を受けていると想う。

ちなみに、ピント(焦点)が合う奥行きの被写界深度とか、写真の焼加減というか、

軟調とか、硬調のとか、写真についての知識が、鉛筆画の全体の印象にも係わると

思われる描き方の特徴を大まかに捉える上で参考になっていると想っていたけれども、

却ってそれらは、絵画鑑賞にはバイアスの部類に入るのだろうか!?

※2014/5/9(金)のFacebook の門番 追夢人のノートより転載

QT ラティチュード、ラチチュード、ラティテュード (latitude) とは、一般的に日本では写真用語であり、音響学・信号処理分野で言うところの「ダイナミックレンジ」に相当する。感光材料(写真フィルムなど)が、画像(階調の集まり)として再現できる露光の範囲、寛容度を表すことに使われる。露光寛容度、露出寛容度とも言う。英語ではexposure latitude。

概要: 写真撮影(露光)において、感光材料に対し適正より少ない露光量(露出アンダー、画像が暗く階調がつぶれるおそれがある)や、反対に適正より多い露光量(露出オーバー、画像が明るく階調が飛ぶおそれがある)であっても階調が無くならず、画像として成立するような特性(露光許容量が大きい)を「ラティチュードが広い」と表現する。このような特性の場合、暗い部分(シャドウ)から明るい部分(ハイライト)までなだらかな階調が再現できる反面、画像がフラット(眠たい調子)になりやすい。

逆に再現できる露光の範囲が狭い特性を「ラティチュードが狭い」と表現する。この場合、露出オーバーやアンダーに対して、白とびや黒つぶれを起こしやすいが、コントラストの高い画像を得ることが出来る。

一般的にネガフィルムはラティチュードが広く、リバーサル(ポジ)フイルムや固体撮像素子を用いるデジタルカメラのラティチュードは狭い。撮影においては、ラティチュードが広い方が扱いやすい。

ウィキペディア フリー百科事典より抜粋



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2012年01月08日

アート作品の評価とは(補足)

 前回、「アート作品の評価とは」で、作品の市場価値について触れた。

 画商の立場では、収益性の観点から販売価格が高額の作品の評価は高い。

 しかし、仕入れ面では逆に廉価でなければ収益性は低くなるから、高額作品は負(マイナス)の性格も帯びている。

 それはまたアート作品を鑑賞して楽しもうと購入する人達にも同様にあてはまり、高額な価格はマイナス要因である。

 では、高額作品を好ましいと考えるのは誰か?

 それは既に作品をたくさん所有しているコレクター、在庫(作品)を抱えている画商(美術館)、債権として押さえている銀行、あるいはアーティストまたはその遺族、そして販売広告そのものが収入源のマス・メディアである。

 アート作品の価格が高額で話題になるのは、市場で販売する時または手放す時であって、消してアート作品を鑑賞する時ではない。

 鑑賞目的でこれから購入を検討する時はそのことを加味した方がよい。



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