2007年07月12日 23:11
エジプトへの逃避途上の休息

『エジプトへの逃避途上の休息』
ルーカス・クラーナハ(父)(1472-1553)
制作1504年 木 69x51cm
ベルリン国立美術館
ルーカス・クラーナハ(父)(1472-1553)
制作1504年 木 69x51cm
ベルリン国立美術館
↓拡大画像(221KB)
The Rest on the Flight into Egypt

Lucas Cranach the Elder (1472-1553)
1504 on Wood 69 x 51 cm
Gemaldegalerie, Staatliche Museen, Berlin
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Lucas Cranach the Elder (1472-1553)
1504 on Wood 69 x 51 cm
Gemaldegalerie, Staatliche Museen, Berlin
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トラックバック一覧
1. Melencolia [ 天使のいる回廊 天使巡礼 天使堂 ] 2007年07月17日 08:50
Melencolia IAlbrecht Durer (1471-1528)Engraving 24.1x18.8cm (1514)――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
コメント一覧
16. Posted by 追夢人(ついむと) 2007年07月21日 01:22
Fu さま
こんばんは!
>私がクラーナハの作品を見て「メルヒェン」と感じたのも、そのあたりからかもしれませんね。
しっかり感じとられていらしたのですね?♪ 素晴らしいです!!!
追夢人は、あー、うるさそう!って反応してしまいましたものね(^^; 憂鬱ですものね。反省しきりです。
童心は大切にしようと心掛けていたつもりだったのですけれど、郷愁に浸るだけで、実際には難しいです。
いろいろ勉強になりますね。
こんばんは!
>私がクラーナハの作品を見て「メルヒェン」と感じたのも、そのあたりからかもしれませんね。
しっかり感じとられていらしたのですね?♪ 素晴らしいです!!!
追夢人は、あー、うるさそう!って反応してしまいましたものね(^^; 憂鬱ですものね。反省しきりです。
童心は大切にしようと心掛けていたつもりだったのですけれど、郷愁に浸るだけで、実際には難しいです。
いろいろ勉強になりますね。
15. Posted by Fu Shusei 2007年07月20日 20:05
>コメントの転載について
煮るなり焼くなり、何でもどうぞ(笑)でございます。
>クラナーハは子どもを視点にした休息を描いたのかもしれないということに気付いた次第です。
なるほどですねぇ!
私がクラーナハの作品を見て「メルヒェン」と感じたのも、そのあたりからかもしれませんね。
この主題は民衆画っぽくなりがちと描きましたが、画家の自由な発想に依りやすい主題だからなのだと思います。
というのは、福音書には「エジプトへの逃避」の事情説明と経緯は書かれてあるのですけれど、旅の様子なんかはまったく書かれていないのです。
そのため、正典ではないエジプトへの逃避に関する複数の物語からひっぱってきてるようです。天使が団体さんで登場しちゃうのもそれらに典拠しているみたいです。
・・・ふと思い出しましたが、こどもの頃アンデルセンの童話で、おさなごがなつめやしに話しかけたら、なつめやしがお辞儀をして、その実を取りやすいようにしてくれた・・・というのを読んだんですよ。
あれはまさしくエジプトへの逃避にまつわる伝説を、アンデルセンがアンデルセン風に書き換えたものだったんだなぁ。。。
「エジプトへの逃避途上の休息」の主題は、やっぱりメルヒェンの世界=子供の世界と相性がいいのかも・・・です。
煮るなり焼くなり、何でもどうぞ(笑)でございます。
>クラナーハは子どもを視点にした休息を描いたのかもしれないということに気付いた次第です。
なるほどですねぇ!
私がクラーナハの作品を見て「メルヒェン」と感じたのも、そのあたりからかもしれませんね。
この主題は民衆画っぽくなりがちと描きましたが、画家の自由な発想に依りやすい主題だからなのだと思います。
というのは、福音書には「エジプトへの逃避」の事情説明と経緯は書かれてあるのですけれど、旅の様子なんかはまったく書かれていないのです。
そのため、正典ではないエジプトへの逃避に関する複数の物語からひっぱってきてるようです。天使が団体さんで登場しちゃうのもそれらに典拠しているみたいです。
・・・ふと思い出しましたが、こどもの頃アンデルセンの童話で、おさなごがなつめやしに話しかけたら、なつめやしがお辞儀をして、その実を取りやすいようにしてくれた・・・というのを読んだんですよ。
あれはまさしくエジプトへの逃避にまつわる伝説を、アンデルセンがアンデルセン風に書き換えたものだったんだなぁ。。。
「エジプトへの逃避途上の休息」の主題は、やっぱりメルヒェンの世界=子供の世界と相性がいいのかも・・・です。
14. Posted by 追夢人 2007年07月19日 20:18
Fu さま
こんばんは!
Fu さまのコメントの転載について、事後報告ですみませんでした。
以前に「Melencolia[2007年07月14日(土)] 」の記事でいただいた貴重なコメントのうち、クラーナハの作品に関係する一部分をこちらの方へ転載させていただきましたので、コメントのご返事をこちらでさせていただきます。
>モノローグに没頭してしまったようで、分かりにくかったですよね、スミマセン(^^ゞ
いえいえ、めっそうもありません。こちらの理解力不足です(^^;
「聖性の表現」について、こんなにご丁寧なご説明に恐縮しております。ほんとうにありがとうございました。
よく理解できました♪ (そのつもりなのですけれど、後で消化できていないボロ的言動が飛び出してきてもひらにご容赦くださいませ{汗})
7月18日のFuさまのコメントに戻りますけれど…、
>もともとこの主題自体、どうしても民衆画っぽくなってしまうので、仕方がないのですけど。
そうなんですね。
振返ってみますと、この主題の作品について、今回のクラナーハの他に、天使堂のブログで追夢人は、以前にも2つの作品 Viktor Paul Mohnの「Die Ruhe auf der Flucht 」とGentileschiの「エジプト逃避途上の休息」をご紹介させていただきました。
こんばんは!
Fu さまのコメントの転載について、事後報告ですみませんでした。
以前に「Melencolia[2007年07月14日(土)] 」の記事でいただいた貴重なコメントのうち、クラーナハの作品に関係する一部分をこちらの方へ転載させていただきましたので、コメントのご返事をこちらでさせていただきます。
>モノローグに没頭してしまったようで、分かりにくかったですよね、スミマセン(^^ゞ
いえいえ、めっそうもありません。こちらの理解力不足です(^^;
「聖性の表現」について、こんなにご丁寧なご説明に恐縮しております。ほんとうにありがとうございました。
よく理解できました♪ (そのつもりなのですけれど、後で消化できていないボロ的言動が飛び出してきてもひらにご容赦くださいませ{汗})
7月18日のFuさまのコメントに戻りますけれど…、
>もともとこの主題自体、どうしても民衆画っぽくなってしまうので、仕方がないのですけど。
そうなんですね。
振返ってみますと、この主題の作品について、今回のクラナーハの他に、天使堂のブログで追夢人は、以前にも2つの作品 Viktor Paul Mohnの「Die Ruhe auf der Flucht 」とGentileschiの「エジプト逃避途上の休息」をご紹介させていただきました。
13. Posted by 追夢人 2007年07月19日 20:17
Fu さま
(コメントのつづきです。)
前者にはFuさまから、「ヘロデ王による幼児虐殺を避けての「エジプトへの逃避」の場面ですね。
一見素朴で何の計算もないようですが、このイラストレーターさんは、伝統的な図像表現を踏襲しています…」というコメントをいただいておりました。空には二人の奏楽天使が、聖母子の前では可愛いプットーたちや白い鳩や小鳥たちが見守っています。薔薇垣からは幼児がこっそり聖母子を覗いています。傍らにはヨセフが静かに聖書を読んでいます。牧歌的な雰囲気で、見ていてホッと落着けそうなところが気に入りました。
後者は命からがら逃げてきて、ここまでくればひとまず安心と、疲れきったヨセフが仰向けに爆睡する傍ら、暖かくやわらかそうな陽にあたりながら幼児イエスが若いマリアさまの豊満な乳房から優しくお乳をもらっている場面で、やや聖性の表現に欠けるかもしれません。
ただ、この二つの作品から共通して感じたのは、落着いた静けさと、ヨセフとマリアさまの安らぎ、幼児イエスの安心感、そこにあるのは安堵感でした。
この二作品と比べて、クラナーハの作品から受けた印象は、子どものような天使たちの騒がしさ、ヨセフとマリアさまの忙しなさでした。いったいどこが休息なの?という面白さです。そのなかの生意気そうな女の子のポーズからイメージがデューラーのメランコリアの天使の姿へと移っていってしまいました。
改めて、クラナーハが描いた騒がしい子どものような天使たちを考えてみました。怖い時の子どもは、泣き叫ぶか、怯えて震えているかでしょう。もし怖い思いから解放された子どもたちがとる行動は、好き勝手に遊び出し、わがままもでて喧嘩もするだろうなと思い当たりました。ということは、クラナーハは子どもを視点にした休息を描いたのかもしれないということに気付いた次第です。
クラナーハの「エジプトへの逃避途上の休息」を最初に見た視点は、他の二作品のときもそうでしたけれど、大人の親の目線から見ていたということでもありますね。
(コメントのつづきです。)
前者にはFuさまから、「ヘロデ王による幼児虐殺を避けての「エジプトへの逃避」の場面ですね。
一見素朴で何の計算もないようですが、このイラストレーターさんは、伝統的な図像表現を踏襲しています…」というコメントをいただいておりました。空には二人の奏楽天使が、聖母子の前では可愛いプットーたちや白い鳩や小鳥たちが見守っています。薔薇垣からは幼児がこっそり聖母子を覗いています。傍らにはヨセフが静かに聖書を読んでいます。牧歌的な雰囲気で、見ていてホッと落着けそうなところが気に入りました。
後者は命からがら逃げてきて、ここまでくればひとまず安心と、疲れきったヨセフが仰向けに爆睡する傍ら、暖かくやわらかそうな陽にあたりながら幼児イエスが若いマリアさまの豊満な乳房から優しくお乳をもらっている場面で、やや聖性の表現に欠けるかもしれません。
ただ、この二つの作品から共通して感じたのは、落着いた静けさと、ヨセフとマリアさまの安らぎ、幼児イエスの安心感、そこにあるのは安堵感でした。
この二作品と比べて、クラナーハの作品から受けた印象は、子どものような天使たちの騒がしさ、ヨセフとマリアさまの忙しなさでした。いったいどこが休息なの?という面白さです。そのなかの生意気そうな女の子のポーズからイメージがデューラーのメランコリアの天使の姿へと移っていってしまいました。
改めて、クラナーハが描いた騒がしい子どものような天使たちを考えてみました。怖い時の子どもは、泣き叫ぶか、怯えて震えているかでしょう。もし怖い思いから解放された子どもたちがとる行動は、好き勝手に遊び出し、わがままもでて喧嘩もするだろうなと思い当たりました。ということは、クラナーハは子どもを視点にした休息を描いたのかもしれないということに気付いた次第です。
クラナーハの「エジプトへの逃避途上の休息」を最初に見た視点は、他の二作品のときもそうでしたけれど、大人の親の目線から見ていたということでもありますね。
12. Posted by 追夢人 2007年07月19日 16:46
※ Melencolia [2007年07月14日(土)] の記事で、Fu Shuseiさまからいただいたコメントですが、「エジプトへの逃避途上の休息」に係わるとても内容のあるコメントなので、こちらに転載させいてただきました。
>ポカ?ン
モノローグに没頭してしまったようで、分かりにくかったですよね、スミマセン(^^ゞ
えーとですね・・・つまり言いたかったのは、クラーナハはこの作品(エジプトへの逃避)においては「聖性の表現」に気を使わずに描いたように思う・・・ということです。
「聖性の表現」とは、聖なるものを聖なるものとして相応しく表現すること。
聖母が子沢山で大変そうにしているお母さんに見えてしまうような描き方(・・・「神の母」じゃなくて「普通のお母さん」に見える=宗教画らしくない)は、「聖性の表現を考慮していない」ということになると思うのです。
この絵自体はたいへん優れた魅力的な作品なんだけれども、聖書の物語としては相応しくない描き方なんじゃないか・・・と。Posted by:Fu Shusei at 2007年07月19日(木) 14:07――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
>ポカ?ン
モノローグに没頭してしまったようで、分かりにくかったですよね、スミマセン(^^ゞ
えーとですね・・・つまり言いたかったのは、クラーナハはこの作品(エジプトへの逃避)においては「聖性の表現」に気を使わずに描いたように思う・・・ということです。
「聖性の表現」とは、聖なるものを聖なるものとして相応しく表現すること。
聖母が子沢山で大変そうにしているお母さんに見えてしまうような描き方(・・・「神の母」じゃなくて「普通のお母さん」に見える=宗教画らしくない)は、「聖性の表現を考慮していない」ということになると思うのです。
この絵自体はたいへん優れた魅力的な作品なんだけれども、聖書の物語としては相応しくない描き方なんじゃないか・・・と。Posted by:Fu Shusei at 2007年07月19日(木) 14:07――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
11. Posted by 追夢人 2007年07月19日 16:43
※ Melencolia [2007年07月14日(土)] の記事で、Fu Shuseiさまからいただいたコメントですが、「エジプトへの逃避途上の休息」に係わるとても内容のあるコメントなので、こちらに転載させいてただきました。
Fu Shusei さまのコメントのつづきです。
「聖性の表現」という言葉がちょっと分かりにくいですね?。
実例を挙げてみますね。次の2つは共に同じ主題「我に触れるな(Noli me tangere)」を描いたものです。
A) http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/angelico/tangere.jpg
B) http://www.insecula.com/oeuvre/photo_ME0000057521.html
A(フラ・アンジェリコ)とB(ブロンツィーノ)では受ける印象がまったく違います。
「我に触れるな」は、マグダラのマリアが死から復活したキリストを目撃して、思わずすがろうとするシーンなんですが、キリストがマリアを制止してこう言うんです。
「私に触れてはならない。私はまだ父の御許に上がってはいないのだから。」
さて、AとBのどちらがこの主題に相応しい描き方でしょうか?
画風の好みは抜きにして考えた場合、おそらく殆どの方がAと答えるのではないかと思います。
Bは、たとえばギリシア・ローマ神話の恋愛を描いた絵だよ、といっても不自然ではないですよね。
女神:「ダーリン会いたかったわー♪」
羊飼い:「ハニー、ボクもダヨーン。でも今奥さんが近くに来てるから、くっつかないでね?。不倫がばれるからネ?」
・・・なんて台詞を当てても不自然じゃない。
これは「聖性の表現」を考慮していないということになります。
Bも絵としてはとても美しいんですけど、こんなクネクネしたキリスト、とてもキリストとは思えません(笑)
Posted by:Fu Shusei at 2007年07月19日(木) 14:07――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
Fu Shusei さまのコメントのつづきです。
「聖性の表現」という言葉がちょっと分かりにくいですね?。
実例を挙げてみますね。次の2つは共に同じ主題「我に触れるな(Noli me tangere)」を描いたものです。
A) http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/angelico/tangere.jpg
B) http://www.insecula.com/oeuvre/photo_ME0000057521.html
A(フラ・アンジェリコ)とB(ブロンツィーノ)では受ける印象がまったく違います。
「我に触れるな」は、マグダラのマリアが死から復活したキリストを目撃して、思わずすがろうとするシーンなんですが、キリストがマリアを制止してこう言うんです。
「私に触れてはならない。私はまだ父の御許に上がってはいないのだから。」
さて、AとBのどちらがこの主題に相応しい描き方でしょうか?
画風の好みは抜きにして考えた場合、おそらく殆どの方がAと答えるのではないかと思います。
Bは、たとえばギリシア・ローマ神話の恋愛を描いた絵だよ、といっても不自然ではないですよね。
女神:「ダーリン会いたかったわー♪」
羊飼い:「ハニー、ボクもダヨーン。でも今奥さんが近くに来てるから、くっつかないでね?。不倫がばれるからネ?」
・・・なんて台詞を当てても不自然じゃない。
これは「聖性の表現」を考慮していないということになります。
Bも絵としてはとても美しいんですけど、こんなクネクネしたキリスト、とてもキリストとは思えません(笑)
Posted by:Fu Shusei at 2007年07月19日(木) 14:07――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
10. Posted by 追夢人 2007年07月19日 16:33
※ Melencolia [2007年07月14日(土)] の記事で、Fu Shuseiさまからいただいたコメントですが、「エジプトへの逃避途上の休息」に係わるとても内容のあるコメントなので、こちらに転載させいてただきました。
>クラーナハの初期の作品に聖性の表現を望んではいけないようですね^^;
>…仕方がないのですけど。
>…割りきらないとダメなのかなぁ。
>…かえって良かったのかもしれません。
ポカ?ン
{星}
知識が乏しくて、Fuお嬢さまの深遠なお悩みをまだまだ理解できないで?す(^^;
Posted by:追夢人(ついむと) at 2007年07月18日(水) 15:20――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
>クラーナハの「エジプトへの逃避途上の休息」を見たときは、子沢山で大変そうなマリア様という印象を受けたので
クラーナハの初期の作品に聖性の表現を望んではいけないようですね^^;
もともとこの主題自体、どうしても民衆画っぽくなってしまうので、仕方がないのですけど。
聖画として見ずに、民衆画・風景画、もしくはメルヒェンの世界を描いたものだって割りきらないとダメなのかなぁ。
この画風が失われたことを残念だと思う人は多いようですが、宗教画を描く上ではかえって良かったのかもしれません。
Posted by:Fu Shusei at 2007年07月18日(水) 12:49――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
クラーナハの「エジプトへの逃避途上の休息」を見たときは、子沢山で大変そうなマリア様という印象を受けたので、真っ先に、デューラーの「メランコリア」の銅版画を思い浮かべたのです。いま思い起こせば、なぜかデューラーの憂鬱そうな天使が、子供たちの散らかし放題にもう注意する気も起こらないほど憂鬱&無関心になってしまったという印象を持っていたみたいなんです。でも、デューラーの作品には子供らしきはキューピット1人しか描かれていなかったんですね。ただ単純に、子供に手を焼きすぎて鬱になっているという印象を持っていただけだったようですね(^^;
Posted by:追夢人(ついむと) at 2007年07月16日(月) 22:40――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
>クラーナハの初期の作品に聖性の表現を望んではいけないようですね^^;
>…仕方がないのですけど。
>…割りきらないとダメなのかなぁ。
>…かえって良かったのかもしれません。
ポカ?ン
{星}
知識が乏しくて、Fuお嬢さまの深遠なお悩みをまだまだ理解できないで?す(^^;
Posted by:追夢人(ついむと) at 2007年07月18日(水) 15:20――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
>クラーナハの「エジプトへの逃避途上の休息」を見たときは、子沢山で大変そうなマリア様という印象を受けたので
クラーナハの初期の作品に聖性の表現を望んではいけないようですね^^;
もともとこの主題自体、どうしても民衆画っぽくなってしまうので、仕方がないのですけど。
聖画として見ずに、民衆画・風景画、もしくはメルヒェンの世界を描いたものだって割りきらないとダメなのかなぁ。
この画風が失われたことを残念だと思う人は多いようですが、宗教画を描く上ではかえって良かったのかもしれません。
Posted by:Fu Shusei at 2007年07月18日(水) 12:49――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
クラーナハの「エジプトへの逃避途上の休息」を見たときは、子沢山で大変そうなマリア様という印象を受けたので、真っ先に、デューラーの「メランコリア」の銅版画を思い浮かべたのです。いま思い起こせば、なぜかデューラーの憂鬱そうな天使が、子供たちの散らかし放題にもう注意する気も起こらないほど憂鬱&無関心になってしまったという印象を持っていたみたいなんです。でも、デューラーの作品には子供らしきはキューピット1人しか描かれていなかったんですね。ただ単純に、子供に手を焼きすぎて鬱になっているという印象を持っていただけだったようですね(^^;
Posted by:追夢人(ついむと) at 2007年07月16日(月) 22:40――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
9. Posted by 追夢人(ついむと) 2007年07月18日 14:23
Fuお嬢さま
こんにちは♪
おかげんが優れないところに、昨日、今日は肌寒くてダブルパンチですね。
お身体を冷やして更に夏風邪など召しませぬようにお気をつけてくださいね。
>こういう背景があるわけなんですね。
追夢人の背景、それも狭い狭い隅っこに偏ったところから、ちょっと垣間見えた印象です。
美術界のかやの外の者には、その裏の裏はブラックボックスで知る由もありません。
>…とても淋しい気持ちになります。
特に宗教美術は(爆)
追夢人なんかもっと淋しいんですよ(笑) もう慣れましたけれど、天使堂の夜は心底淋しい思いをしてました。
でも、日本の美術館の混み具合とか、ヨーロッパ旅行での美術館人気からすると、(宗教)美術への関心はそうとう高いと想っています。ただ身近ではないことは確かですね。
>…自分の描いたもの(売っても100円程度(^^ゞ)以外所有もしていなんですけどねぇ・・・
あっ! わざわざ購入する必要もあまりなかったですね。むしろ、もっともっと売り込まないといけませんね(笑)
失礼いたしましたー(^^;
>気楽に入れるギャラリーなどの存在がもっと知られるようになって、アートが皆にとってもっと身近なものになっていくといいですね。
ほんとうに仰るとおりです♪
ホームページやプログは個人で世界に発信できるツールです。Fuお嬢さまのプログのおかげで、追夢人の狭かった宗教美術への視野もひろくなりました♪♪♪ こうして発信されているアーティストの仲間はたくさんいらっしゃいますね♪! そうそう、堕天使{悲しい}みたいな追夢人も仲間にいれてもらえるかしらねぇ(爆)
こんにちは♪
おかげんが優れないところに、昨日、今日は肌寒くてダブルパンチですね。
お身体を冷やして更に夏風邪など召しませぬようにお気をつけてくださいね。
>こういう背景があるわけなんですね。
追夢人の背景、それも狭い狭い隅っこに偏ったところから、ちょっと垣間見えた印象です。
美術界のかやの外の者には、その裏の裏はブラックボックスで知る由もありません。
>…とても淋しい気持ちになります。
特に宗教美術は(爆)
追夢人なんかもっと淋しいんですよ(笑) もう慣れましたけれど、天使堂の夜は心底淋しい思いをしてました。
でも、日本の美術館の混み具合とか、ヨーロッパ旅行での美術館人気からすると、(宗教)美術への関心はそうとう高いと想っています。ただ身近ではないことは確かですね。
>…自分の描いたもの(売っても100円程度(^^ゞ)以外所有もしていなんですけどねぇ・・・
あっ! わざわざ購入する必要もあまりなかったですね。むしろ、もっともっと売り込まないといけませんね(笑)
失礼いたしましたー(^^;
>気楽に入れるギャラリーなどの存在がもっと知られるようになって、アートが皆にとってもっと身近なものになっていくといいですね。
ほんとうに仰るとおりです♪
ホームページやプログは個人で世界に発信できるツールです。Fuお嬢さまのプログのおかげで、追夢人の狭かった宗教美術への視野もひろくなりました♪♪♪ こうして発信されているアーティストの仲間はたくさんいらっしゃいますね♪! そうそう、堕天使{悲しい}みたいな追夢人も仲間にいれてもらえるかしらねぇ(爆)
8. Posted by Fu Shusei 2007年07月18日 12:20
こんにちわ!
昨日は頭痛と喘息のダブルパンチで殆ど寝てすごしましたが、今日は大分楽になりました。
興味深いお話有難うございました。
こういう背景があるわけなんですね。
趣味を聞かれて、「絵画鑑賞と音楽鑑賞」と答えると、「随分と高尚な趣味をお持ちで」とか「セレブですね?」なんて言われたりして、言った方は褒めたつもりなんだろうけど、こちらとしては「皆 芸術との距離を感じているのだな・・」と気づかされ、とても淋しい気持ちになります。
私、リトグラフはおろか肉筆の絵なんて自分の描いたもの(売っても100円程度(^^ゞ)以外所有もしていなんですけどねぇ・・・アートが好き=お金持ちという図式が売る側にも買う側にも出来てるのですね。お金が落ちてないか、いつも下ばっかり見てるんですけどねぇ。
気楽に入れるギャラリーなどの存在がもっと知られるようになって、アートが皆にとってもっと身近なものになっていくといいですね。
>もううんざりよ!
ルシフェル=サタンのように堕天使になるほどではなかったようで、良かったです(笑)
昨日は頭痛と喘息のダブルパンチで殆ど寝てすごしましたが、今日は大分楽になりました。
興味深いお話有難うございました。
こういう背景があるわけなんですね。
趣味を聞かれて、「絵画鑑賞と音楽鑑賞」と答えると、「随分と高尚な趣味をお持ちで」とか「セレブですね?」なんて言われたりして、言った方は褒めたつもりなんだろうけど、こちらとしては「皆 芸術との距離を感じているのだな・・」と気づかされ、とても淋しい気持ちになります。
私、リトグラフはおろか肉筆の絵なんて自分の描いたもの(売っても100円程度(^^ゞ)以外所有もしていなんですけどねぇ・・・アートが好き=お金持ちという図式が売る側にも買う側にも出来てるのですね。お金が落ちてないか、いつも下ばっかり見てるんですけどねぇ。
気楽に入れるギャラリーなどの存在がもっと知られるようになって、アートが皆にとってもっと身近なものになっていくといいですね。
>もううんざりよ!
ルシフェル=サタンのように堕天使になるほどではなかったようで、良かったです(笑)
7. Posted by 追夢人(ついむと) 2007年07月16日 15:02
Fuお嬢さま
こんにちは!
お目覚めのご気分はいかがですか(笑) 少しは眠れましたでしょうか? 体調が優れないのに眠れないというのはさぞお辛かったことでしょう。気候の変化や変動は身体に堪えますね。
台風はやや南に逸れた様で、Fuお嬢さまのほうも大した事がなくてよかったです。こちらも、雨は降ったものの、ほとんど影響はありませんでした。伊豆の天使堂は暴風雨域にかかっていたので少し心配しています。
>日本ではギャラリーや・・・美術やクラシック音楽など・・・芸術全般に対して、敷居が高いとか、高尚なものだ・・・とか感じてしまって、気楽に行きにくいと感じている方も多いのでしょうね。
そうなんですよね。敷居が高いみたいですね。確かに銀座の老舗画廊や都心の百貨店内のギャラリーは、資産家を客層にして、たいそうな価格で有名画家のたいしたことのない「売り絵」で商いしていますからね。店員さんの、庶民には見向きもしない態度はあからさまですし。絵は高額なものと普通の人は思ってしまうでしょうね。
もちろん、たくさんある小さな画廊やギャラリーの多くは、無名の画家さんのすばらしい本物の絵画を良心的な価格で取り扱っていらっしゃいますよ。でも、一般の人は、有名画家の名前は知っていても、印刷と版画、複製と肉筆の違いすら区別できない人が多いですし、画廊やギャラリーが無料で観覧できることすら知らないみたいです。
興味を示しても、知名度や投機的価値にばかり関心があったりして(涙)、でも資産的価値とは、絵画でもなんでも五百万円以上ないとあまり意味はないので、そもそもそういう人たちの話は、わたしたち庶民が絵画の美を日常の生活で楽しむ話ではないんです。
こんにちは!
お目覚めのご気分はいかがですか(笑) 少しは眠れましたでしょうか? 体調が優れないのに眠れないというのはさぞお辛かったことでしょう。気候の変化や変動は身体に堪えますね。
台風はやや南に逸れた様で、Fuお嬢さまのほうも大した事がなくてよかったです。こちらも、雨は降ったものの、ほとんど影響はありませんでした。伊豆の天使堂は暴風雨域にかかっていたので少し心配しています。
>日本ではギャラリーや・・・美術やクラシック音楽など・・・芸術全般に対して、敷居が高いとか、高尚なものだ・・・とか感じてしまって、気楽に行きにくいと感じている方も多いのでしょうね。
そうなんですよね。敷居が高いみたいですね。確かに銀座の老舗画廊や都心の百貨店内のギャラリーは、資産家を客層にして、たいそうな価格で有名画家のたいしたことのない「売り絵」で商いしていますからね。店員さんの、庶民には見向きもしない態度はあからさまですし。絵は高額なものと普通の人は思ってしまうでしょうね。
もちろん、たくさんある小さな画廊やギャラリーの多くは、無名の画家さんのすばらしい本物の絵画を良心的な価格で取り扱っていらっしゃいますよ。でも、一般の人は、有名画家の名前は知っていても、印刷と版画、複製と肉筆の違いすら区別できない人が多いですし、画廊やギャラリーが無料で観覧できることすら知らないみたいです。
興味を示しても、知名度や投機的価値にばかり関心があったりして(涙)、でも資産的価値とは、絵画でもなんでも五百万円以上ないとあまり意味はないので、そもそもそういう人たちの話は、わたしたち庶民が絵画の美を日常の生活で楽しむ話ではないんです。
6. Posted by 追夢人(ついむと) 2007年07月16日 15:00
Fuお嬢さま
名画は美術館でないと観れないということはありますが、美術はもっと身近な生活の場にあってほしいなと想っています。書店にたくさんの美術の雑誌や本があって、名画にも間接的にせよ触れられて、もちろん良いことにはかわりないのですけれど、印刷や複製ではなく、本人自身が描いた肉筆画や、版画家が原版を彫って自分自身で摺った版画を、できれば自分の好みのものを、たとえ小さくても、自分の家の壁に一枚でも飾って、長い月日に渡って眺めていると、その本物の良さが増してくることに気づくのですけれどね。
それに気に入るのは少ない上に、名のあまり知られていない駆け出しの画家さんの油彩でも小さいもので、安くても一枚十万円位から、版画は一万円前後はしますから、なかなか趣味がなければ縁遠くなるでしょう。でも、よい絵画は一生涯にわたって楽しめますね。例えば十万円の油絵を30年で割ると、年間三千円少々、1日なら百円もしません。携帯電話で一回当たり百円近くもかけているのに比べたら、肉筆画は決して高いとはいえないのにね。
クラシック音楽については、Fuお嬢さまに…(笑)
>こんな明るそうな子が、何故憂鬱質に!
聡明だったんですけれど、難しいことばかり考えすぎたりして。
例えば、男性のように逞しいボディとか、ゴツくて厳めしい面魂、私はいったい何者? 女性なの、天使なの?
天使でも、ミカエルでも、ラファエルでも、いわんやガブリエルでもない。マリア様は何処へ行ってしまわれたの? 気がつけば、回りには訳のわからないものばかり散らかっていて、もううんざりよ!
追夢人の新説も膨らませて膨張(暴走)するとすぐ、破裂(破綻)するので、この辺でもう限界かと…(^^;
名画は美術館でないと観れないということはありますが、美術はもっと身近な生活の場にあってほしいなと想っています。書店にたくさんの美術の雑誌や本があって、名画にも間接的にせよ触れられて、もちろん良いことにはかわりないのですけれど、印刷や複製ではなく、本人自身が描いた肉筆画や、版画家が原版を彫って自分自身で摺った版画を、できれば自分の好みのものを、たとえ小さくても、自分の家の壁に一枚でも飾って、長い月日に渡って眺めていると、その本物の良さが増してくることに気づくのですけれどね。
それに気に入るのは少ない上に、名のあまり知られていない駆け出しの画家さんの油彩でも小さいもので、安くても一枚十万円位から、版画は一万円前後はしますから、なかなか趣味がなければ縁遠くなるでしょう。でも、よい絵画は一生涯にわたって楽しめますね。例えば十万円の油絵を30年で割ると、年間三千円少々、1日なら百円もしません。携帯電話で一回当たり百円近くもかけているのに比べたら、肉筆画は決して高いとはいえないのにね。
クラシック音楽については、Fuお嬢さまに…(笑)
>こんな明るそうな子が、何故憂鬱質に!
聡明だったんですけれど、難しいことばかり考えすぎたりして。
例えば、男性のように逞しいボディとか、ゴツくて厳めしい面魂、私はいったい何者? 女性なの、天使なの?
天使でも、ミカエルでも、ラファエルでも、いわんやガブリエルでもない。マリア様は何処へ行ってしまわれたの? 気がつけば、回りには訳のわからないものばかり散らかっていて、もううんざりよ!
追夢人の新説も膨らませて膨張(暴走)するとすぐ、破裂(破綻)するので、この辺でもう限界かと…(^^;
5. Posted by Fu Shusei 2007年07月16日 04:03
おはようございます。台風、大丈夫でしたか?天使堂も心配ですね。
我が家のあたりは「台風」と呼ぶほどの荒れ方ではありませんでした。
ただ、呼吸器のほうは激しい気圧の変化を感じているようで、息苦しくて寝付けません。
さきほど薬を飲んだのでもう間もなく楽になると思いますが・・・眠くなるまでお邪魔してますね(笑)
>伊豆方面への第1位の期待は、やはり新鮮な海の幸と温泉に宿泊
どうしてもそうなっちゃうのでしょうね。
それから、日本ではギャラリーや・・・美術やクラシック音楽など・・・芸術全般に対して、敷居が高いとか、高尚なものだ・・・とか感じてしまって、気楽に行きにくいと感じている方も多いのでしょうね。
私は芸術は、人間の営み・・・生きていくこと・死んでいくこと・・・から生まれる、「人生に密着しているもの」だと思っているので、それが凄く残念でなりません。
↑なんか日本語がいつも以上に変ですね(笑)
寝不足でナチュラルハイ状態になっているのかも^_^;
>デューラーの銅版画「メランコリア」(1514年)の天使の子どもの頃の姿だってば(爆)
こんな明るそうな子が、何故憂鬱質に!
何があったのでしょう(爆)・・・ストレス?
我が家のあたりは「台風」と呼ぶほどの荒れ方ではありませんでした。
ただ、呼吸器のほうは激しい気圧の変化を感じているようで、息苦しくて寝付けません。
さきほど薬を飲んだのでもう間もなく楽になると思いますが・・・眠くなるまでお邪魔してますね(笑)
>伊豆方面への第1位の期待は、やはり新鮮な海の幸と温泉に宿泊
どうしてもそうなっちゃうのでしょうね。
それから、日本ではギャラリーや・・・美術やクラシック音楽など・・・芸術全般に対して、敷居が高いとか、高尚なものだ・・・とか感じてしまって、気楽に行きにくいと感じている方も多いのでしょうね。
私は芸術は、人間の営み・・・生きていくこと・死んでいくこと・・・から生まれる、「人生に密着しているもの」だと思っているので、それが凄く残念でなりません。
↑なんか日本語がいつも以上に変ですね(笑)
寝不足でナチュラルハイ状態になっているのかも^_^;
>デューラーの銅版画「メランコリア」(1514年)の天使の子どもの頃の姿だってば(爆)
こんな明るそうな子が、何故憂鬱質に!
何があったのでしょう(爆)・・・ストレス?
4. Posted by 追夢人(ついむと) 2007年07月14日 20:40
Fu お嬢さま
こんばんは!
再コメントありがとうございます♪ 嬉しいです♪♪♪
>ドイツも太っ腹ですけど、英国の美術館なんて基本的にタダだったりするんですよね・・・払える額の寄付金だけでOK。
そうなんですか! ヨーロッパは文化的にも進んでいますね。日本が先進国とかいって進んでいると思うのは大きな錯覚ですね。箱物は新しく造っても、中身や運営が追いついてないですものね。
皆、海外へご旅行されるのもうなずけます。伊豆高原の観光客も少なくなっているようです。その少ない観光の人の伊豆方面への第1位の期待は、やはり新鮮な海の幸と温泉に宿泊してゆったりといったところでしょうか。
伊豆高原には個人の小さなギャラリーから、企業レベルの文化施設もいろいろとあるようなのですけれど、わざわざ伊豆高原に来るほどのメリット、都心に集中した文化との差異は、見劣りしてもメリットは少ないというのが正直なところではないでしょうか。
>聖性はあまり感じられないけれども(民衆画の印象)、人物の表情も柔らかくていいですね。
ご感想に新たな作品のご紹介をありがとうございます。
ほんとそうですよね。片田舎の子沢山の家族の記念撮影のようにもみえて、みんな言う事を聞かずに自分勝手にやりたい放題している子どもの自然な表情が庶民的で面白いです。
Fu お嬢さまの仰るように初期のクラーナハの作風には妖しい感じがなかったんですね。ご紹介くださった聖母と使徒ヨハネはイヤミのない美しいお顔で、作品の色使いも印象的です。クラーナハといわれなければ追夢人にはわかりません(^^;
>この「メランコリア」風の女の子、ナニモノだろう(笑)
デューラーの銅版画「メランコリア」(1514年)の天使の子どもの頃の姿だってば(爆)←ん追夢人の新説(大ぼら)
こんばんは!
再コメントありがとうございます♪ 嬉しいです♪♪♪
>ドイツも太っ腹ですけど、英国の美術館なんて基本的にタダだったりするんですよね・・・払える額の寄付金だけでOK。
そうなんですか! ヨーロッパは文化的にも進んでいますね。日本が先進国とかいって進んでいると思うのは大きな錯覚ですね。箱物は新しく造っても、中身や運営が追いついてないですものね。
皆、海外へご旅行されるのもうなずけます。伊豆高原の観光客も少なくなっているようです。その少ない観光の人の伊豆方面への第1位の期待は、やはり新鮮な海の幸と温泉に宿泊してゆったりといったところでしょうか。
伊豆高原には個人の小さなギャラリーから、企業レベルの文化施設もいろいろとあるようなのですけれど、わざわざ伊豆高原に来るほどのメリット、都心に集中した文化との差異は、見劣りしてもメリットは少ないというのが正直なところではないでしょうか。
>聖性はあまり感じられないけれども(民衆画の印象)、人物の表情も柔らかくていいですね。
ご感想に新たな作品のご紹介をありがとうございます。
ほんとそうですよね。片田舎の子沢山の家族の記念撮影のようにもみえて、みんな言う事を聞かずに自分勝手にやりたい放題している子どもの自然な表情が庶民的で面白いです。
Fu お嬢さまの仰るように初期のクラーナハの作風には妖しい感じがなかったんですね。ご紹介くださった聖母と使徒ヨハネはイヤミのない美しいお顔で、作品の色使いも印象的です。クラーナハといわれなければ追夢人にはわかりません(^^;
>この「メランコリア」風の女の子、ナニモノだろう(笑)
デューラーの銅版画「メランコリア」(1514年)の天使の子どもの頃の姿だってば(爆)←ん追夢人の新説(大ぼら)
3. Posted by Fu Shusei 2007年07月14日 17:25
ドイツも太っ腹ですけど、英国の美術館なんて基本的にタダだったりするんですよね・・・払える額の寄付金だけでOK。美術に関してだけいえば、英国に住みたいって何度も思いました。
>お互いに影響しあったということでもあるのでしょうね
この作品については、実際にデューラーの影響があったかどうかは知らないのですが(人物の顔立ちは近い感じかも)、2人は年も近い・・・デューラーの版画作品は多くの画家に影響を与えましたし、デューラーはクラーナハと仲良しのルターの思想にもかなり傾倒していたようですから、互いに影響しあうということもあったかもしれません。
この作品はドイツのメルヒェンという感じですね。風景もドイツ南部そのものですし。
聖性はあまり感じられないけれども(民衆画の印象)、人物の表情も柔らかくていいですね。
この「メランコリア」風の女の子、ナニモノだろう(笑)
この頃のクラーナハの作風はあまり妖しい感じがないですね。色使いや発想の斬新さはクラーナハなんだけれども、イヤミがなくて。
同じ頃に描かれた聖母と使徒ヨハネも、妖しさは全くなくて素直に「美しい」と思える顔立ちをしています。
http://www.pinakothek.de/alte-pinakothek/sammlung/rundgang/rundgang_inc.php?inc=bild&which=5271
>お互いに影響しあったということでもあるのでしょうね
この作品については、実際にデューラーの影響があったかどうかは知らないのですが(人物の顔立ちは近い感じかも)、2人は年も近い・・・デューラーの版画作品は多くの画家に影響を与えましたし、デューラーはクラーナハと仲良しのルターの思想にもかなり傾倒していたようですから、互いに影響しあうということもあったかもしれません。
この作品はドイツのメルヒェンという感じですね。風景もドイツ南部そのものですし。
聖性はあまり感じられないけれども(民衆画の印象)、人物の表情も柔らかくていいですね。
この「メランコリア」風の女の子、ナニモノだろう(笑)
この頃のクラーナハの作風はあまり妖しい感じがないですね。色使いや発想の斬新さはクラーナハなんだけれども、イヤミがなくて。
同じ頃に描かれた聖母と使徒ヨハネも、妖しさは全くなくて素直に「美しい」と思える顔立ちをしています。
http://www.pinakothek.de/alte-pinakothek/sammlung/rundgang/rundgang_inc.php?inc=bild&which=5271
2. Posted by 追夢人(ついむと) 2007年07月13日 20:42
Fu お嬢さま
こんばんは!
いつもコメントありがとうございます♪
エーッ! それは羨ましいです! 無料のGemaldegalerie{キラキラ}に入り浸りなんて♪
天使堂{赤ちゃん}の観覧無料とは次元が違いすぎますよー! {ペンギン}テヘッ ←いじけてます
版画家でもあったクラーナハはAlbrecht Durer (1471-1528) の影響を受けたそうですね。ここまでは受売りです。
この初期の作品のひとつ『エジプトへの逃避途上の休息』は、息つく暇もなさそうですけれど、真中の女の子(天使?)がデューラーの「メランコリア(瞑想)」の銅版画(1514年)の天使のポーズによく似ています。 でも、クラーナハのほうが制作は1504年で早いみたいです。お互いに影響しあったということでもあるのでしょうね。
こんばんは!
いつもコメントありがとうございます♪
エーッ! それは羨ましいです! 無料のGemaldegalerie{キラキラ}に入り浸りなんて♪
天使堂{赤ちゃん}の観覧無料とは次元が違いすぎますよー! {ペンギン}テヘッ ←いじけてます
版画家でもあったクラーナハはAlbrecht Durer (1471-1528) の影響を受けたそうですね。ここまでは受売りです。
この初期の作品のひとつ『エジプトへの逃避途上の休息』は、息つく暇もなさそうですけれど、真中の女の子(天使?)がデューラーの「メランコリア(瞑想)」の銅版画(1514年)の天使のポーズによく似ています。 でも、クラーナハのほうが制作は1504年で早いみたいです。お互いに影響しあったということでもあるのでしょうね。
1. Posted by Fu Shusei 2007年07月13日 11:57
秋にこの絵に会いに行く予定です♪(また貯金を崩すらしいです・・・ヤバイです。)
Gemaldegalerieは、私が一番好きな美術館です♪
しかも確か木曜の夕方からはタダになるので、ベルリンに行くと毎回入り浸りです^^;
Gemaldegalerieは、私が一番好きな美術館です♪
しかも確か木曜の夕方からはタダになるので、ベルリンに行くと毎回入り浸りです^^;