2014年05月10日 05:44
ラティチュード(latitude) の原理は、鉛筆画の鑑賞に際し、自分の感性を内省する上で重要な位置をを占めている。
ラティチュード(latitude) の原理は、鉛筆画の鑑賞に際し、私の感性を内省する上で
重要な位置を占めている。
私は30代前半の数年間、主にネガカラーフィルムで屋外の写真撮影(ポートレイトや
風景など)を趣味にしていたので、撮影時のカメラの露出やフィルム感度などの知識を
ほんの少し勉強したのが、絵画鑑賞をした後で自分の感受性についていろいろ考える
時にとても役に立っている、換言すれば、影響を受けていると想う。
ちなみに、ピント(焦点)が合う奥行きの被写界深度とか、写真の焼加減というか、
軟調とか、硬調のとか、写真についての知識が、鉛筆画の全体の印象にも係わると
思われる描き方の特徴を大まかに捉える上で参考になっていると想っていたけれども、
却ってそれらは、絵画鑑賞にはバイアスの部類に入るのだろうか!?
※2014/5/9(金)のFacebook の門番 追夢人のノートより転載
QT ラティチュード、ラチチュード、ラティテュード (latitude) とは、一般的に日本では写真用語であり、音響学・信号処理分野で言うところの「ダイナミックレンジ」に相当する。感光材料(写真フィルムなど)が、画像(階調の集まり)として再現できる露光の範囲、寛容度を表すことに使われる。露光寛容度、露出寛容度とも言う。英語ではexposure latitude。
概要: 写真撮影(露光)において、感光材料に対し適正より少ない露光量(露出アンダー、画像が暗く階調がつぶれるおそれがある)や、反対に適正より多い露光量(露出オーバー、画像が明るく階調が飛ぶおそれがある)であっても階調が無くならず、画像として成立するような特性(露光許容量が大きい)を「ラティチュードが広い」と表現する。このような特性の場合、暗い部分(シャドウ)から明るい部分(ハイライト)までなだらかな階調が再現できる反面、画像がフラット(眠たい調子)になりやすい。
逆に再現できる露光の範囲が狭い特性を「ラティチュードが狭い」と表現する。この場合、露出オーバーやアンダーに対して、白とびや黒つぶれを起こしやすいが、コントラストの高い画像を得ることが出来る。
一般的にネガフィルムはラティチュードが広く、リバーサル(ポジ)フイルムや固体撮像素子を用いるデジタルカメラのラティチュードは狭い。撮影においては、ラティチュードが広い方が扱いやすい。
※ ウィキペディア フリー百科事典より抜粋